明智光秀の出身地は近江の地⁉多賀に光秀の痕跡、二十歳以前の謎を解く

戦国ニュース、ザクっと読み。気になったら全文記事を読んでね。

美濃の明智氏が明智光秀の実家だというのが通説なんだけど、実は光秀の三代前の明智十左衛門が美濃を出奔して近江の多賀に住み着き、そこで十兵衛光秀が生まれ朝倉に仕えたというのが新しい説。

江戸時代の貞享(じょうきょう)年間(一六八四~一六八八)に成立したとされる地誌「淡海温故録(おうみおんころく)」に記されているらしい。

で、今回の新発見はその淡海温故録の内容と、地元で五百年にわたって伝えられてきた口伝が一致したことから光秀は近江国多賀を出身じゃね?という話になったのだ。で、自治体公認で大河ドラマに便乗したPRをやろうというお話。「明智光秀と戦国の多賀」と題した企画展が開かれている。

多賀出身説

  • 十兵衛屋敷跡がある
  • 「みつひで」の「みつ」をとって見津という名字をもらったが、謀反を興したことで「けんつ」と読む。
  • 多賀の国人、犬上衆が山崎の合戦で光秀の軍勢に加わっている

ニュース全文→光秀の出身地「多賀町説」アピール 大河ドラマでPR

十兵衛屋敷跡とは?→十兵衛屋敷跡公式サイト

関連記事

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA