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「安楽平城跡」どこより詳しく紹介!!屋敷跡も残る福岡市の大規模戦国城

中世のころ、現在の福岡市とその周辺、筑前の国は鎌倉期より大友氏と少弐氏、そして幕府の探題という勢力がそれぞれ鎬を削りあう場所でした。守護は少弐、あるいは大内の時代もあったのですが、そのなかで戦国末期には糸島や博多、現在の福岡市の大部分に大友氏が大きな勢力を持ってました。そんな大友氏による筑前の支配拠点。その一つが、それが今回紹介する安楽平山(荒平山)城です。

城主、小田部鎮元自刃の地に建つ慰霊碑

安楽平城(荒平城)

安楽平城(荒平城)は、1462年大内氏の飯田幸松丸によって築かれたと伝わる城。戦国期も後半に入ると大友氏の支配する城となり、大宰府にある宝満城や立花山城などとともに筑前支配の重要拠点に位置付けられた、筑前五城の一つで、福岡市では立花山城と並ぶ代表的な山城です。

この城はなんと言っても1579年、肥前龍造寺隆信の侵攻によって落とされた城として有名で、その際に城主小田部鎮元が自刃したと伝わる場所に慰霊塔が建っています。小田部というのは今も福岡市の早良区に残る地名で、小田部氏が築いた平地の城館、小田部(堀内)城の跡も僅かに残っています。

龍造寺軍が背振山脈を三瀬から越えて曲渕を通り、早良郡の内野に本城城を築き、大軍をもって攻囲した城。大手は西方向、重留といわれる場所。自刃の場所は城ノ原という城の南側、これは龍造寺の付城である本城がある方向です。

小田部鎮元は落ちようとして逃れきれず自刃したというような話も聞いたことがあるのですが、逃れるのであれば東方向に味方の城もあり、山間部のため敵の眼を掻いくぐる事が出来たのではないかと思うんです。なので、わざわざ大手ではなく搦め手方向、南の敵陣方向に出てきたという事は、最後の突撃を敢行したのではないかと推測しちゃうんですよね。もし目の前の敵陣を抜けたとしても、その先にあるのは龍造寺に味方する原田氏、神代氏、曲淵氏の勢力圏ですから。

戦国時代末期、龍造寺隆信に攻められて落城した安楽平城。その後は筑紫氏の持城となり筑紫大炊恒門が城主となっています。今ある安楽平城の石垣などは、時代的に筑紫氏時代のものではないかと言われたりもしているそうです。

搦め手口、南の城原方面から登ってみる

南側の城ノ原地区、小田部鎮元の慰霊塔のある方から行くと途中まで自動車で登れるという情報が多いのですが、拙者が訪れた2019年12月現在、通行止めになっております。なので、いちから歩いて登らねばなりません。

まあ、言っても、標高400mそこそこの山なのでそこまできつくないけどね。

まず林道に入って出迎えてくれるのがこの神社。

境内には小田部鎮元、嫡男九郎の墓がありました。

社殿はコチラ、木々に覆われ凄く神秘的な神社。近くの方か城主の縁者なのか、凄くきれいに手入れされていて驚きました。

ちょっと林道を外れるとこういう道がありまして、堀じゃないと思うんですよね。昔の道、でしょう、おそらく。

なるほど、これのせいで通行止めなのね。2019年も大雨が降ったから、林道が流されちゃってます。

ちょっと足場は悪いけど、山の中を迂回してしばらく登ると小田部鎮元自刃の地がありました。

ここには慰霊塔が建っています。

天正七年九月という文字が見えますね、1579年、運命の年、落城の年。この年はちょうど安土城天守が完成し、徳川家康の正室築山殿が殺され嫡男信康が自害。そんな年です。

ここまではコンクリート舗装された林道なので登りやすかったのですが

この先は、本格的な登山道になります。なので、城跡をめざすなら山登りの格好をしてください。最低限、スニーカーは必須。

登途中には、このような大岩が至る所にあります。こういった岩に城の女衆が隠れていて、見つかってしまい殺害されたという話も伝わっています。

送電線の鉄塔が立っていますけど、ここが本丸の西に張り出した出丸です。景色を見ようと思ったのですが、木が邪魔で何も見えませんでした。

本丸方向とは大きな堀切で分断されています。

この堀切を渡り、先の斜面を登って行けば南から主郭に入ることが出来ます。

北側尾根、武家屋敷・城下町方面から登る

北ルートはコチラ、早良区重留にある早良更生園という施設の横から入ります。

このような林道の入り口があって、ここから先へと徒歩で登っていきます。ある程度まで自動車で行けなくもないのでしょうが、悪路なのでおすすめしません。

途中まではこのような道が続き、とても歩きやすいのですが……途中からはやっぱり道なき道を行くような、登山道に変わります。この奥には安楽平城の武家屋敷跡が残っていると言われてるんですよね。

途中からこのような大きな堀のような痕跡があります。

二重に並ぶ堀。

部分的にこのような石積み跡が残っていますねえ。

更に進むとこのような策平地が、川にそって段々に続いています。なんでしょうね、城下町の集落的な場所だったのでしょうか。出城だとあれだけど、居城だと城山の麓に窯や鍛冶場とか、城下の町があったりしますもんね。

安楽平城の武家屋敷跡か?

その奥には虎口のようになった場所。両側が門跡のように段になってせり出し、横矢がかかる構造。真ん中が傾斜しながらの通路となっています。

虎口を抜けると郭のような削平地になっていて、これが4から5段ほど。一番広いのだとかなりの広さで、屋敷跡といわれても「なるほど」と思える広さがあります。木々が密集していて見通しが悪いですけどね。

そして削平地の背後、山側は切岸かと思いきや、よく見ると石積みになっています。おそらくここが武家屋敷跡だと思われるのですが、はっきりしたことはわかりません。

てか、武家屋敷跡だなんだというのは、個人で調べた人のメモ程度しか資料が無くて、詳しくハッキリと説明してくれている本もサイトもないんですよね。なので思いこんだもの勝ちかもしれない。

さらに山道を登っていくと、巨石群を抜けた先にドーンと大きな馬蹄状の二段郭がありました。広角レンズじゃないので上手くフレームに収まらないんだけど、ほんとドーーン!という感じで大迫力の場所なのです。

広角買えよって? いやいや、年収160万の貧乏自営業者になにいってんすか!?

馬蹄状の郭の切岸をロープを使って登り切ると、その上に矢倉台のような場所がありました。見張り台のような位置にあるんだけど、気が茂っていて視界は非常に悪かったです。

ここから南へ続く尾根道を歩いて行くと二の丸方向。

途中にあった大堀切。

堀切の先にある巨石群。

この急斜面の切岸を登り切ると、二の丸の北端です。

安楽平城の本丸

そしてここが山頂部、本丸です。かなり急斜面、途中でロープ使って登って来るくらい。なので、軽い気持ちで登ると危ないですよ。くどいですけど、運動しやすいスタイルで登ってください。

拙者は途中で道を逸れて探検に行って、斜面を滑り落ちて手を切りました。長さ5センチくらい切って血まみれです、浅かったので縫うほどじゃありませんでしたけど。

主郭はかなりの広さがあります。

主郭からの眺めです、木が無くなって利場所がありとても綺麗な眺め。福岡市内でも、この辺りは農村部なので田畑のモザイク模様がとても綺麗です。

龍造寺隆信が進行してきた際には、眼下一帯全てに龍造寺軍が展開していました。龍造寺方の付け城、本城城も見えたはずです。城に籠っていた人々は、どういった思いでこの景色を見ていたんでしょうね。山の稜線などは殆ど変わってないはずなので、戦国時代の人と同じような景色を見ているんですよ、これ。

主郭部には城跡の碑と案内板があるんですが、縄張り図がなかったんですよ。それが少し残念。

もし必要なら、以前書いたレビュー「『戦国城郭を行く「福岡県の城郭」』レビュー!福岡県内で220の城を網羅した戦国のバイブル」がおススメ。バッチリ縄張り図が掲載されています。

三の丸と、見事な安楽平城の石垣

本丸から東に延びる尾根を利用して造られた三の丸。細長い郭ですが、かなりの広さがあります。

櫓台でしょうか。

安楽平山城の三の丸といえば、この石垣が有名なんですね。長さはどれくらいでしょうか、30メートルくらい続いていそうですけども。

この方向はかなり急斜面なので、郭が崩れるのを防いでいたのでしょうか。近世の美しい積み方に比べると、かなり荒っぽい石積み。いかにもな中世の石垣です。

ただこの石垣、安楽平城落城後に筑紫氏が入ってからのものではないかとも言われているんですよね。さて、どうなんでしょう。

ただこの石垣、急斜面の途中にあるんですよ。掴まる場所もなく、凄い急斜面。とても危ないので、見に行くなら気を付けてください。ロープを持って行くと良いかもしれません。

なんだかんだで城跡ですからね、郭の外側の斜面は登れないよう削られた急斜面(切岸)なんて当たり前ですから。

二の丸は西側に土塁が続く、守りの要

本丸からこの狭い尾根道を通って北西の二の丸方向へ。

尾根を大きく分断する堀切。

横から見るとこんな感じ、かなり大きな堀切です。

さらに続く、土橋のような尾根道。

二の丸は北へ伸びる尾根を利用した細長い郭、この郭には西側に向けてずっと土塁が続いています。

城の構造を見るに、西に備えた構造になっていますね。追手(大手)も西方向にありますし、出城も西にあります。そしてこの二の丸が西からの攻撃に備える最大の防衛陣地なのです。

広さもかなりのもの。

二の丸の案内板。

二の丸でも時おりこんな石積みを見かけます。

それなりに石積みが使われた戦国城だったようですね。

強者どもの夢の跡、この城は凄惨な籠城戦と落城を経験しているんですよね。ここで命を懸けて戦った人たちがいた。攻めるも守るも、どっちも自らの正義のために死力を尽くしたわけです。

そんな人たちと、時代は違えども同じ場所に立ち同じ空気を感じ、そして同じ景色を見てるのです。ここの石ひとつ手に取るだけでも、当時の人と同じ石を触ってるんです。そうやってリアルに歴史の繋がりを感じることが、歴史スポット巡りの楽しさですよね。

小難しい知識とか、それは史実と違う!なんてのは学者先生にかってに言わせておけばいいのです。

山城で道に迷ったら

今回もそうなんですけど、山城といっても登山道のコースになっていたり近くに登山道があったりするんですよね。

そういう場合、道に迷ったら赤いテープを探しましょう。

このテープは登山道の目印。なので、視界の中にある赤テープを辿る事でどこかしらに出る事が出来るはずです。

また、目印が取れてしまっていたりする時の為に、テープを持って入る事をお勧めします。なければ自分もコースにテープを巻くんですよ、そうやって後に来る人の目印を付けるのです。

登山道にすらなっていないような場所に入るときは、コンパスと地図に頼るしかないので要注意。馴れてない人は、近づかないほうがいいでしょう。ここ安楽平山だって、遭難した人がいるんです。

山をなめちゃだめですよ。

お城情報

安楽平城(荒平城)
築城年:1462年
城主:小田部氏

福岡市早良区大字東入部(荒平山)→Googleマップへ

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