日輪の龍 ~異聞、龍造寺隆信伝~ 1話プロローグ、これが大戦というものよ

小説家になろうにも投稿しています→https://ncode.syosetu.com/n4209fy/

享禄3年(1530年)8月 肥前神崎郡 田手川西岸の丘陵地帯

「どうしてこうなった……」

小高い丘を利用して築かれた小城、日吉城に設けられた一室。深い皴が刻み込まれた顔、白髪を総髪に束ねた頭。歳の頃は80を過ぎた老人でありながらも、甲冑を着こんだその姿は年相応の翁というより歴戦の古強者としての張りがある。

男の名は龍造寺家兼、肥前佐賀郡に割拠する国人領主の一家、龍造寺氏の分家当主だ。

「大内の攻勢を退けよと言われても、一族にまで背かれてはのぅ」

そもそも九州北部、筑前・肥前・豊前(現在の福岡、佐賀、長崎あたり)は、鎌倉の頃に東国より下って来た武藤氏、名を変えて今は少弐氏の支配下にあった。室町の時代となると、室町幕府から派遣された鎮西探題と少弐氏が対立、幕府は周防山口に本拠を置く大内氏に探題の支援を要請、そうして大内と少弐の仁義なき戦いが幕を開けるのである。

貿易による莫大な富と中央(畿内)での活躍により強大な力を持つに至った絶頂期の大内氏。そんな大内氏と一進一退の戦いを繰り広げる少弐氏であったが、自力に勝る大内に少しずつ押されていき、最後は肥前まで攻め込まれて当主少弐政資と嫡男が自害、少弐氏は本拠大宰府を追われ肥前佐嘉へ追い落とされた。宿敵を筑前から追い出した大内氏は博多、大宰府を擁する筑前の支配を固め、肥前にもその勢力を伸ばして来たのだった。

そこへ少弐政資の子である少弐資元が豊後(大分)の大友氏や東肥前(佐賀東部)に割拠する国人の支援、そして幕府のとりなしもあって大内氏と和睦、肥前から大内勢力を駆逐して力を蓄えようとするのだが、大内氏の世代交代と同時に少弐氏へとどめを刺すべく本格侵攻が開始される。

1530年の4月に幕府より少弐討伐の許しを得た大内氏、そのまま肥前に攻め込むと少弐方の西千葉、朝日、横岳、筑紫など東肥前の有力国人が大内に寝返る。その様子を見た少弐政資は、時間をかければ味方勢力が切り崩されてしまう恐れがある、長期戦の不利を悟った政資はまだ叛く気配を見せていない肥前の国衆に参集の激を発し、佐嘉郡の重鎮、龍造寺家兼に野戦にて迎え撃てと、つまり決戦すべしと命じたのである。

その決戦がまさに今、なのであった。

大内氏の重臣杉興運が率いる約1万の軍勢が迫る中、迎え撃つのは龍造寺、蓮池、直鳥、執行など肥前の中でも佐嘉郡と神崎郡の国人衆。その総司令官、この防衛軍を率いるのが龍造寺分家、水ケ江龍造寺の当主である龍造寺家兼、冒頭で「どうしてこうなった」とボヤいた翁である。御年76歳、まだまだ働き盛りのスーパー爺だ。

「鍋島と石井は上手く伏せたか」

「はっ、ここから南、川近くに伏せているものと」

家兼が本陣に詰める近習に問うと、一切の迷いなく答えが返って来た。

「確かか」

「はっ、四半刻ほど前に知らせが参ってございます」

そうか、とつぶやきながら頷く翁。情報の重要性を知る家兼は、個人的な主観に元づく報告を極端に嫌う。それが龍造寺の強さの一因。

「ならばよし。嵌ればよいのだがな……後は天の差配に任せるしかあるまい」

そのような会話が交わされているうちに、物見櫓から大きな声で何かを知らせる様子が見えた。しばらくしてその知らせを受けた近習が本陣に駆けこんでくる。

「大内勢、横岳、朝日、千葉を先手として川向うに着到、その数はおよそ1万」

「大将、今宵、夜討ちはいかがでござろうか」

敵勢が次々と到着する様を見、血気に逸った部下が問う。

「立場が逆で、儂が攻め手なら夜討ちをしかけるがの。敵の先手は肥前衆、大内の本隊はその後ろ。仕掛けても届かん、利がないのう」

全くの無駄とは言わないが、さほど効果も見込めない。逆ならば相手の虚を突いて士気を下ることもできるだろうが。相手も今宵はゆっくりと兵を休ませる気のようだ。

「まあ、奇をてらう必要も無かろう。決戦するは明日じゃ、やれやれ、忙しくなりそうだのう」

大内の大軍を前に戦の覚悟を決める龍造寺家兼、少弐配下の武将としてこの戦で大将となってるのだが、村中城にある龍造寺本家は何をしているのかというと、大内氏に味方する西千葉氏を通じて所領安堵を受けて、居城でゆったりしていたりする。つまり、龍造寺は分家が大内と決戦し、本家は大内に通じているのである。いわゆる二枚舌、両属といわれる行為なのだが、戦国の国人などみな同じようなものだ。

「まったく、このクソ暑い中を老骨に鞭を打って戦に赴いておるというのに、村中の連中と来たら……まったく人使いが荒い、年寄りをなんじゃと思うとるんじゃ、宗家の腰抜けどもが」

***

翌朝は嫌になるくらい良く晴れた朝だった。あちこちから兵糧の煙が見える、多勢を頼んで押し切ろうという腹なのだろう。川を挟んで平野部で野戦に及ぶのだ、大軍を擁する側に奇をてらうひつようはない。数をたのんで押し込んで、相手の出方を見ながら対処していけばよいのだから。

「家純よ、ようく見ておれ。これが大戦というものよ」

隣に立つ嫡男に声をかける家兼さん、地方の国人である龍造寺が一万の大軍と相対する軍兵の指揮を執るなどそうそうある事ではない。良い経験になるはずだ。と、嫡男と視線を交わす。

川向うでは米粒ほどの人間がわらわらと走り回り、やがて大きな群れを作っていく。そして腕を一斉に上げたのか、人の塊りが波を打つと少し遅れて音が追いかけて来た。

「えいっ、えいっ、おぉ~っ」

朝の空気を突き破って蛮勇の雄たけびが駆け抜けていく。馬鹿になれ、兵卒は何も考えずに目の前の相手を殺し、奪えばいいのだ。

「来るぞっ、備えよっ!」

ドン、ドン、ドン、ドン

台地を揺るがす地鳴りのような軍勢の足音、その後に続く太鼓の音、野生に戻った人であったものの鯨波。既に配置についている味方の兵が、いよいよ敵が動き出したのを見て迎撃の準備に移っていく。物見やぐらの兵が下に向かって何かを叫び、それを聞いた小者が陣内に駆けこんでくる。

「大内勢、横岳、朝日を先頭に押し出してまいりました」

少弐方、龍造寺家兼率いる軍勢は、田手川の西方に陣を敷いて待ち受ける。ここはかつて弥生時代の環濠集落があった場所で、遮るもののない平野の中、こんもりと盛り上がった丘陵地帯となっているのだ。さらに川は佐賀特有の泥だらけの川、そこへ木杭を打ち込み足止めとし、丘陵の頂には土塁を巡らして急ごしらえと言えど、陣城のような構えになっている。

さらに丘陵部の北側にひと際高い小山があり、そこには物見櫓が立つ日吉城がある。

「地の利はコチラにある、小勢とみて侮ると痛い目にあうぞ」

小さな声であったが、隣にいる家純にはハッキリと聞こえた。その顔は口の端を吊り上げ、獲物をいたぶる猛獣のような笑みを浮かべている。

「父上、楽しそうですな」

「当り前よ、これほどの大戦で大将としての采配を振うのだ。武人として楽しくないはずがあるまい」

そういうものでござるか……と小さく口の中で返した家純、この父が居てくれてよかったと、心の底から安堵した。

「弓!放て!」

前方より弓を射かける号令と、放つタイミングを合わせるための太鼓の音が聞こえてきた。守る側が高所に構えているため、守勢の射程の方が長い。事前に何度か試し打ちをして、矢がどこまで届くか目印の杭がうってある。その杭を越えて入り込んできた敵兵を、ある程度まで進ませてから号令がかかるのだ。

ビュビュンッ、空気を震わせるような音と共に一斉に矢が放たれ、遅れてやってくる絶叫。人の塊りが大地を踏みしめる足音、魂を振り絞って声をあげる男たちの雄たけび、弓の音、矢の音、陣内を駆けまわる武者たちの叫び声、武具が奏でる金属音、様々な音が全てを飲みこんで行く。

本陣となっている日吉城、家兼は様子を見るために高櫓に上り戦場を俯瞰する。

「やはり強いな、大内の兵は」

今のところ優位に戦闘を進めている家兼率いる少弐軍であるが、数カ所で渡河を許して杭が抜かれ、盾を並べた橋頭保が築かれつつある。川を渡り終えた敵兵は橋頭保で一息つき、人数がまとまったところで一点に突破を仕掛けて来る。盾持ちが前を行き、後ろの兵が杭を抜く。ずらりと盾持ちを並べて矢を防ぎ、杭が抜かれたところに敵兵が集まる。それを繰り返しながら少しずつ前へと進み、人の塊りを少しずつ大きくしていく。

味方を裏切り敵方に走った武将は、信を得るため先陣を切り必死で手柄を立てようとする。裏切りが当たり前の時代とは言え、それでも心証はよくない。そんななかで自らの地位を認めさせるには手柄が必要、先陣の武将は必死なのだ。損害を恐れずしゃにむに前に出て来る。こうなると人数差が効いてくるのだ。

「右翼、一陣破られました」

物見櫓からの知らせが飛び込んでくる、南は執行か蓮池か、とにかく手当をせねば、突破されては不味い。

「兼定、手勢を率いて後詰せよ」

「はっ」

龍造寺の家臣、武勇に優れた戸田兼定を後詰として向かわせる家兼。

改めて戦況を見てみると、右手が崩れ橋頭保を築かれている関係からか敵はやや左懸かり、こちらの右に集中して動き始めている。比較的安全な渡河ポイントが出来たために、そこへ敵兵が集中しているのだ。ただ、それが返って混乱を招いている様子で、渡ってから丘陵部までの河原で敵兵が混雑している。ここへ部隊を率いて突き込めば、先陣を大きく崩す好機だろう。

そう考えるのは、この戦いにおける家兼の切り札ともいうべき奇襲部隊の将。

「狼煙はまだか……」

つぶやいたのは戦場から少し離れた場所、詳細にはやや南、川下に広がる芦原で息をひそめて伏せている一団。数は200ほど、家兼の命で伏せている兵……その指揮官である水ケ江龍造寺に仕える武将、鍋島清久。

「おやっさんの勘の良さはただものじゃねぇ、そろそろだろうよ。気を引き締めなおさねぇとな」

おう、そろそろだぞ……と、後ろに続く配下に言葉をかける男、この男も水ケ江龍造寺家兼配下、石井党の惣領石井忠清。

「頃合いか……早鐘を打て!」

家兼の言葉を受けて早鐘がなる。

カンカンカンカンカン、本陣高櫓の兵が鐘を打つと、物見櫓から狼煙が上がる。

「ほら来た、野郎ども行くぞ、兜首を狙え」

それを見た伏兵、鍋島勢と石井党が一気に混雑している敵兵の中へと切り込んだ。力攻めでこじ開けた突破口、そこには先陣を任されていた千葉、朝日、横岳の兵が押し寄せ混乱状態。それぞれの将は兵を誘導して混乱を鎮めるために、前へ出て指揮を執っていた。

そこへ現れたド派手な風体の集団。

赤熊を被った一団が芦の間から躍り出てきたかと思うと、あっという間に周りの者を突き倒していく。前方が詰まり立ち往生している兵、突然奇抜な恰好に五尺ほどの短槍を持った集団が現れ、次々と味方が殺されていくのだ。甲冑に刀は通じない、槍は長すぎて混戦での取り回しに難がある。短槍を操る兵にとって、まさに独壇場。

それを見た大内方の雑兵は恐慌状態となり、混乱を鎮めるために督戦する侍大将が声をからして叫び続ける。

「慌てるな、敵は小勢、押し包んでしまえ」

このままでは不味いと判断した先手の大将、朝日、横岳が大声を張り上げながら前線を維持しようと奮戦する。

「野郎ども、右だ、偉そうなのが出て来やがった、手柄首ぞ!」

ひと際目立つ鎧武者が、雑兵でごった返す中で指揮を執っている。馬を駆けさせるほどの隙間もない場所で、手柄の兜首が目の前にある。欲に逸った男たちが敵の大将を一斉に取り囲み、馬から引きずり落とし、押し倒す。

「敵の大将討ち取ったり、兜首じゃー!」

雑兵をまとめようと奔走することで目立ってしまった名のある武士が標的となり、次々と指揮官が討たれていく。将を失った前線の混乱は極限に達し、中には武器を捨て甲冑を脱ぎ捨て裸で川へと引き返す者まで現れる始末。

ドンドンドンドン、そこへ連続で打ち鳴らされる早太鼓、全軍突撃の合図だ。

「今じゃ~、押し返せえ~」

老人のものとは思えないほどよく通る声、家兼の号令に今まで防戦を強いられていた鬱憤を晴らすかのように攻勢に出る少弐軍。

「これまでか……」

完全に流れをひっくり返された大内勢を率いる杉興運は撤退を決意。

「引き鐘を打て、撤退じゃ。大宰府に集まるのだ! 引け、引け」

総崩れとなり混乱する先陣を見捨てた大内軍本隊の行動は素早く、少弐軍の追撃をかわして早々に引き上げていく。

「父上、勝ちましたな」

安堵の表情を浮かべて家兼をみる家純。

「うむ、鍋島と石井がやりおったわ」

疲れたとばかりに床几へ腰を下ろした家兼が答える。あれらにもしっかり報いてやらねばな、これから奴らの力が必要になるだろうて。

この戦における活躍で龍造寺の名は肥前のみならず、北部九州、そして周防山口の大内にまで知られる事になる。このとき肥前の熊こと肥前の英雄、龍造寺隆信は1歳。

戦国時代は守護を押しのけその配下が急成長する尾張の織田や越前朝倉のような大名、いわゆる下克上が各地で発生するのだが、なぜか九州の有力大名はことごとく鎌倉以来の守護大名。そんな中で唯一の下克上を成し遂げ、北部九州のほぼすべてを手中にする男。

龍造寺隆信が躍進する切っ掛けが、この田手畷の戦いと呼ばれる合戦であった。

龍造寺家兼が築いた龍造寺躍進の礎、それを元に戦国の世に大出世を果たす隆信。肥前の勢力図を塗り替えるきっかけとなったこの戦、時代の波は大きく動き出す。

田手畷の戦い、関連記事はコチラ
「田手畷の戦い」肥前(佐賀)神崎郡田手村『少弐 vs 大内』戦国九州の古戦場巡り

関連記事

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA