「與止日女(よどひめ)神社」佐賀市川上、龍造寺vs神代!!因縁の地

温故知新という言葉が大好きだけど、まったく過去の教訓を生かせていない、ソレガシ。けどね、昔の出来事って今と全く違うのかと思うと、実は今の人たちがやってる事とか考えてる事とそんなに違わなかったりするわけで、じゃあ結局、いまが楽しけりゃいいジャンなんて刹那的発想になってしまうんです。そのほうが楽だから。

「與止日女神社」河上⁉ 川上⁉ どっちだ。

564年、いまから約1450年ほど前に建てられたという、かなりどころかメッチャメチャ古い歴史を持つ神社。日本では古墳時代と言われていた頃、聖徳太子が建てた奈良の法隆寺が607年、四天王寺が593年だからね、そう考えるとどれくらい古いかってのがわかるでしょ。

令和元年に平成元年制の看板を見る、なかなかオツですな。

與止日女神社があるのは佐賀市大和町川上というところで、現地看板が立てられた平成元年にはまだ佐賀市になってなくて大和町だったんですね。で、この辺りは川上峡といって、昭和初期頃までは佐賀の嵐山とか言われながら賑わっていたところ。さすがに嵐山と比べるのはアレでしょうと思うんだけど、いずれにしても、いまはもう寂びの風景が広がっていたりします。時の流れとは残酷なもので、栄光と挫折をこうやってさらけ出してしまう、諸行無常ですなあ。

ところでこの神社、與止日女神社ってのがオフィシャルな名前なんだろうけど、通称的な言い方で川上社と河上社、それぞれあるんだけどどっちが正解⁉ どっちでもいいのかな。あ、川上峡も河上峡だったりするし、地名は川上だから川上でいいんだろうか。

うらぶれた観光地っぽさが何とも良いアジになってます。

観光地だけに駐車場もバッチリ完備されているんだけど、地元の人がケッコウ止めていて、観光客が止められない時もあるんだよね、ココ。特に平日は仕事関係なのか、駐車されてる車が多い。これも佐賀流のおもてなしでしょうかね。

この日は土曜日だったので、ポツポツあいてます。ここ埋まっちゃうと、コインパーキングも無いし諦めて他に行くしかない。行くなら博打気分ですな、「空いてりゃいいけど無けりゃ他へ行けばいいや」ってくらいが丁度いいかもしんない。

おぉっ!! 幻の美少女ゆるキャラである「まほろちゃん」ですよ、大和町といえばまほろちゃん。佐賀市になったら何だっけ⁉ ムツゴロウ⁉ やっぱまほろちゃんだよな、ぜったい。ということで、駐車場にあった観光案内の看板。いい感じの色褪せ具合い、場所だけじゃなくてもうちょっと説明欲しいかな。

駐車場から対岸を見ると、昭和チックな白亜の旅館。名前が龍登園なんですよ、ネーミングも抜群。向陽閣みたいな響きでノスタルジックが止まらない感じ。

いよいよ神社に参ります

駐車場のところにあった鳥居は二の鳥居、駐車場から拝殿に向かっていくと三の鳥居があります。一の鳥居はもっと佐賀市内方面にあって、すんごい遠いので今回は省略。ちなみにこの三の鳥居、柱の部分が三つに分割されていて、しかも下に行くほど太くなるタイプのもの。形も独特らしく、肥前鳥居といいます。

初代鍋島藩主である鍋島勝茂が、1608年に寄進したもの。1608年といえば関ヶ原の8年後、まだ豊臣秀頼さんが生きていた時代。大阪城が落城し、豊臣家が滅ぶ大阪夏の陣は1615年。まあ、そんな時代に建てられた鳥居です。400年以上前だからね、かなり古いでしょ。

続いて出迎えてくれたのがこの樹齢1450年という大楠。という事は、この神社が出来た頃とほぼ同じ時期からここに居たということなんですねえ。リアル歴史の生き証人ですよ、この木。

もっと古い大楠があったらしいんですけど、落雷でこうなっちゃったそうです。

高さ三十メートル、幹回り二十七メートルという大木だったらしいのですが、1813年に落雷で焼けました。今残っている石垣は、この大木を保護するために造られたものだそうです。

続いてこれ、子作りの神様らしいですよ。男性器と女性器を現した石「さきっちょだけ、ね、さきっちょだけだから……」今、まさにそんな状態かもしんない。

神功皇后の妹が触れた石となるとこれまた古い時代のお話で、西暦でいうと200年代のことです。もちろんこの神社はまだない、そんな時代。與止日女神社の祭神である與止日女さんが触れたと伝わる男性器型の石、それがここにあるのだそうです。ということはこの石、約2000年前の神話時代の遺物ということになりますよ、これはスゴイ!!

神道だけどキリスト教っぽくカッコつけてみると、聖遺物、レリクスですよ、これ。

聖遺物にビビりながらも、さらに進んだ参道の先。もちろんそこにあったのは本殿、弊殿、拝殿、神饌所からなる社殿。江戸時代の終わりごろ、1816年に再建されたもの。鍋島時代ですね、これまた歴史もんですよ。

弘化四年丁未と掘られている賽銭箱、1848年制のメイドイン佐賀の賽銭箱。これもかなり古い。施主として掘られた東山田という地名は、ここ川上から少し南に下ったところです。まあ、近所の百姓が寄進したという事なのでしょうね。

拝殿から中を覗くとこんな感じ、しっかり歴史を感じる事の出来る重厚な佇まい。天井の絵も見事ですね。

社務所はかなり新しい感じ。

天満宮もあって、お馴染みの菅原道真公、天神様が祀られています。学問の神様ですなあ。

そしてこれ、室町時代、1470年ころから残る西門。大友宗麟にちょっぴり焼かれたらしいけど、龍造寺さんが修復したとのこと。まじ宗麟やべえ、この辺り一帯の寺社をバンバン焼き払ってるからね。キリシタン大名だっただけに、寺社はかたっぱしから焼いてますこの人。もうね、九州のキリシタンかぶれの人たちは寺社を焼き討ちしたり、領民の強制改宗をしたり、改宗しない人は奴隷として外国に売り飛ばしたり、とにかくめちゃくちゃだったみたいで、九州征伐でやってきた際に豊臣秀吉が実情を見て大激怒!! あまりの酷さに危機感を募らせた結果、バテレン追放令を出すきっかけになったのです。

かなり西方浄土の更に先まで話が飛んだので、とりあえず話を戻します。

室町時代に建てられたという古い西門を抜けた先には、実相院の立派な山門がありました。ここは龍造寺隆信と神代勝利の決戦「川上合戦」の時に、神代勝利が本陣を置いたと伝わる場所。ちなみに大友宗麟さん、この実相院もシッカリ焼いてます。

境内から河原に降りることができるようになっていて、屋形船っぽいのもあるんだけど、ちょっと鄙びすぎてんじゃね⁉ ここで川遊びってのは、ちょっと寂しすぎるかもしんない。

近くには元祖とか本家とか名乗るお店があるんだけど、川上名物の白玉饅頭が売られているメーカーの製造直売所。このまんじゅうは米粉を使った真っ白い一口サイズの小さな饅頭で、食感がツルンとしてるんです。けっこう美味しいんだけど、最近は福岡でも普通に買えるのであえてここで買う必要は無いかな。

ということで、場所とかのご案内

斜めから見た社殿、かなり大きくて立派なのです。

ということで、佐賀市大和町川上、川上峡にある與止日女神社に行ってきました。まず感想として一言、寂しいところです、マジで。

神社前のメインストリートに出たところで……という感じですしおすし。まあそれでも観光地としての雰囲気というか空気はもっているので、かつてはそれなりに賑わった場所なのだという事はわかります。なので、うらぶれた寂びの風景を楽しむ場所なんだと思えば、これはこれでかなりいい感じですね、相当な実力があります。

そしてもう一つ大切な事は、龍造寺隆信、そして神代勝利、戦国時代後期の英雄たちに縁の深い場所という事ですね。龍造寺隆信のお爺さんが殺された場所でありますし、龍造寺隆信と神代勝利、佐賀平野の大将vs山間部の大将が雌雄を決した決戦の地でもあります。

戦国ファンには外せない、特に神代や龍造寺と聞くとドキムネになってしまうような人は絶対に立ち寄るべき聖地の一つと言えるでしょう。

與止日女(よどひめ)神社
住所:佐賀県佐賀市大和町川上1-1
地図:Googleマップへのリンク

関連記事

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

CAPTCHA