「鍋島城館跡」鍋島発祥の地、戦国期の鍋島氏菩提寺も紹介!!

龍造寺隆信が肥前で築きあげた領土を江戸時代まで守り抜いた忠臣……と言ってもいいのか、それとも簒奪者というべきなのか、とにかく龍造寺隆信の跡を継いだのは鍋島直茂。その鍋島氏発祥の地を訪ねてきました。

龍造寺隆信によって肥前統一がなされ、その遺産を受け継いだのが鍋島直茂。鍋島氏は戦国の世を生き残り、明治までこの地を支配することになった。今回はその鍋島氏発祥の地とされる場所、鍋島城館跡に行ってきました。

佐賀城から北西の方角、佐賀バルーンフェスタが開かれる事で有名な嘉瀬川のほとりに鍋島という地名があります。この地はかつて鍋島村と呼ばれ、鍋島氏発祥の地となった場所。文献などに残されてはいませんが、鍋島氏が城館を構えたといわれる場所には石碑が建ち、御館の森として大切に守られています。

「鍋島城館跡」御舘の森

嘉瀬川のほとり、見渡す限り田畑が続くいかにも佐賀らしい風景。そんな中に、鍋島氏の城館跡と伝えられる御館の森があります。

田んぼから一段高くなったような方形の郭、そこへ至る土橋のような道。ここが城館跡と伝えられている場所ですが、詳しく調査がなされたという事は聞かないので、現在残っているこの遺構が当時のものかどうかは分かりません。

恐らく後年になってから整備されたものではないかと思われます。

周りを見渡してみると、高く盛り上がった台地のような場所が田畑の中に点在しています。なので、かつてはここも環濠集落のような場所だったのかもしれません。

低い場所は環濠の水路部分、高い場所が島のようになった陸地部分。そう見えなくもないので、鍋島城も佐賀特有の環濠平城形式の城館だったのかもしれません。

城館跡と伝わる御館の森の中に入ってみると、いかにも古そうな塔が並べられていたり

鍋島氏の初代とされる鍋島経秀の法名「崇元」の文字が刻まれた石碑が建てられていたりします。

鍋島氏はここ肥前ではかなり新しい一族で、龍造寺に従い武功をあげて佐賀の中心部に近い本庄に所領を得てからそちらへ本拠を移しています。なのでこの地に居城を構えていたのは数十年という、ごくわずかな期間でした。

しかし、地元の人たちにとっては藩主一族の発祥の地だったわけで、やはり名誉な事だったのでしょう。伝承というかたちで、鍋島氏の館跡があった地を伝えてきました。

武士が居城を構えるということは、そこには菩提寺が存在するという事。常に死と共にあった武士にとって、仏教との繋がりはとても強いものでした。なので余所から移り住んできたならば、まず最初にやるのは菩提寺の建立なのです。

もちろん、鍋島城館跡の近くにも鍋島氏の菩提寺があります。だだっ広い田んぼにドンと突き出す寺の屋根、遮るものがないのでスグに場所が分かりました。

初期鍋島氏の菩提寺「観音寺」

鍋島城館跡「御舘の森」から南西方向、御館の森から見えていた立派な瓦屋根は観音寺というお寺のもの。このお寺は鍋島氏がこの地にやって来た当時から、江戸時代初期の1747年に龍造寺隆信の墓があることで有名な高伝寺が佐賀市本庄町に建てられるまで、鍋島一族の菩提寺としての役割を果たしていました。

1782年、8代藩主「鍋島治茂」によって再建されたと伝わる本堂。観音寺の本堂には鍋島直茂と初期鍋島藩主の位牌と過去帳が安置されています。

境内には供養塔が立ち、この中には大内氏との戦いに敗れて自刃した少弐教頼の供養塔もあります。少弐教頼は肥前守護少弐氏14代党首で、藤原姓鍋島氏太祖「鍋島経房(清直)」の父親。

鍋島氏は京都からやってきた?

鍋島氏の出自についての資料は殆ど残されていないらしく、有力とされているのは山城国(京都)に住んでいた佐々木源氏の長岡氏が1370年から1380年頃に肥前へ下向、鍋島村に土着して鍋島氏を名乗ったというもの。

長岡氏は京都北野天満宮と関りがあったとされていて、この鍋島一帯は北野天満宮の荘園でした。そのため、その荘園を管理する為なのかどうなのか、とにかく荘園絡みで北野天満宮にゆかりのある長岡氏がやってきて、そのまま鍋島姓を名乗って土着した。ということなのだそうです。

その為なのかどうなのか、観音寺と並んで天満宮が建っています。肥前に下向して天満宮の祠を建てたと言われているそうなので、おそらくここがそうなのでしょう。

天満宮といえば天神さん、菅原道真繋がりです。

こちらはかなり新しい、天満宮の社殿。

しかし鍋島さん、龍造寺の一族になるためにけっこう無茶やってるですよね。鍋島氏は先に書いた通り佐々木源氏の長岡氏が元なので源氏なんですね、氏族としては。で、龍造寺は藤原氏なんですよ。

しかし後の鍋島氏は龍造寺の後継者であることから、藤原氏を名乗ってるんです。

どこかで源氏から藤原になってるわけなんですけど、龍造寺を継いで藤原氏になった系図があったり、藤原氏族である少弐氏に娘を嫁がせてその子に鍋島を継がせたり、肥前佐賀の後継者として正当性を主張するためにいろいろと苦労したみたいなのです。

戦国の弱小領主から龍造寺と共に勢力を拡大し、稀代の英雄龍造寺隆信が切り従えた領土を引き継ぎ、明治の時代まで大大名として君臨した鍋島氏。その始まりがこの場所だったのです。

こんなにのどかな田舎の片隅から始まるサクセスストーリー、戦国時代はこれだから面白いんですよね。

お城情報

鍋島城館跡
築城年 不明
城主 鍋島氏

御館の森 佐賀市鍋島町鍋島→Googleマップへ

観音寺 佐賀市鍋島町鍋島701→Googleマップへ

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