「龍造寺八幡宮」龍造寺氏の初代、始祖にあたる季家が建てた龍造寺の守り神

龍造寺八幡宮は龍造寺家の始祖である龍造寺季家が、1187年に現在の佐賀城内に建立した神社。鎌倉の鶴ケ丘八幡宮の分霊を勧進して建てられた神社。いわば、龍造寺の、いや、佐賀の守り神といってもいい神社なのだ。

龍造寺八幡宮

佐賀市の中心部、白山に建つ龍造寺八幡宮。元は現在の佐賀城内に建てられていた神社なのだけど、佐賀城の築城にあたって鍋島さんによって龍造寺と共にここ白山に移された。しかし、龍造寺を高寺にしたり、龍造寺八幡宮を白山八幡宮にしたり、鍋島さんは龍造寺の名を表に出さないようにしてたんですかね。

神社が建立されたのは、冒頭にも書いたけど1187年のこと。神社の案内板によると平家討伐で功のあった高木南次郎季家が、1185年に佐賀龍造寺村の地頭に任じられ、その後に鎌倉の鶴岡八幡宮を分霊、勧進し、居城である村中城(現在の佐賀城内)に八幡宮を建立。龍造寺八幡宮と名付けて祀った。季家は後に龍造寺を名乗り、龍造寺隆信へと続いてゆくのです。

龍造寺八幡宮にある鳥居は鍋島直茂の奥さん、北の方藤女が寄進したという肥前鳥居。慶長9年(1604年)と年号が入っている佐賀市の重要文化財。

佐賀ってあちこちに古い肥前鳥居が残ってるんですよ。

重要文化財の肥前鳥居

龍造寺の興亡と鍋島の世を経て現代まで、佐賀を見守り続けてきた龍造寺八幡宮。様々な古文書なども残っていたらしいのですが、明治初期に勃発した佐賀の乱で焼けてしまったのだとか。

やっぱあれでしょうね、最初は幕府の味方っぽいふりをしながら薩長が幕府軍に勝ったのを見てから幕府を裏切り、勝ち馬に乗って、しかも薩長土肥とか調子にのった卑怯者だからね。それが分かっていたから、武士として思うところがあったのもしれない。本物のカッコよさを目指しちゃえみたいな、死ぬことと見つけたりでしたっけ。

幕末の長州は人殺しはするし御所に攻め込むし、京都に放火しようとするし、土佐もけっこうヤバいかんじでさ、そりゃもう勤皇志士なんてのは筋金入りのテロリストだったのよ。けどね、圧倒的に不利な状況にありながら気合であそこまでやったのはスゴイ。一向一揆とか十字軍とかを見ても分かるけど、本気でイカれてるやつらは恐ろしいほど残酷でパワフルなんだなぁと思うよね。

長州征伐の時なんて、長州軍の兵力が判明している第2次を見てみると、幕府軍10万に対して長州軍3,500とかだからね、こんな差がありながらガチで戦って幕府軍に勝っちゃったというマジでいかれ連中。ガンダム対ザクくらいの性能差があったとしか思えない。じゃあ佐賀鍋島にそれくらいの根性があったのかと問われると、結局、幕府が滅びる事が確実になるまで幕府の味方をしながら日和見してたんだからね、その差は歴然。だからこそヘタレが、佐賀の乱とか余計な事をするなと……貴重な色々が焼けちゃっただろうと怒りたくもなるんです。

とまあ、幕末の話なんかし始めたら脱線していくので龍造寺八幡宮に戻しますけど、江戸時代に佐賀城から移築されたときは今よりも少し南にずれてたみたいなんですよ。

1901年、明治34年に現在の場所に移動しました。

神社に参拝

ということで、重要文化財になっている鳥居をくぐって境内へ。

正面に赤い鳥居が並び、小さな石橋がかかってますね。ブリジストンじゃないですよ、ストーンブリッジです。その先に拝殿が見えます。

拝殿までの参道にかかる参道橋。小さな橋なんですけど、とても風情があります。

橋の下には多布施川から引き込んだ水を市内に循環させる水路が通っています。

境内を横切る水路、ほんと佐賀は水路の多いところです。この水路だって、整備されてから数百年経ってるんです。

橋を渡ると狛犬のお出迎え。なんか普通の狛犬と、愛嬌のある狛犬がいますね。

ほんと犬っぽいです。

迫力のある拝殿、1903年に改修され移築されたもの。1990年に増築されているそうです。1833年には龍造寺隆信の250年忌も執り行われたという、龍造寺の守り神。

佐賀八幡宮となってますけど、鳥居の額には龍造寺八幡宮なんですよね。社殿は彫刻なども凝っていて、とてもカラフルで豪華。

さて、まずはお賽銭を投げて、神様にお参りして……おぉっ!こんなところにおみくじが! しかも百円は安い。

とまあ、目の前にこれみよがしに置かれたならば、引かねばならぬでしょうな、これも神のお導きでしょう。

この位置関係ですからね、毎日拝んでる人はそうでもないんだろうけど、私のようにたまにやって来た余所者がこれを無視するのはむしろ不自然ですよ、えぇ、まったく。

引いてみた結果は『吉』ということで、なんとも微妙で地味なやつがきたねぇ。なんだろ、せっかくこうやって来たんだからさ、ちょっと記事のネタになるようなの欲しいよね、イイにしろ悪いにしろ。

と思ったら、恋愛が酷いw

「苦悩の日が続く 破滅しないよう祈りなさい」

ひでぇっ!w

家庭「男・女 その道に迷えば家庭を破る 慎め」

なんかさ、我が家の夫婦関係の危機? みたいな内容になってんだけど。他は無難な内容なのに、なんでココだけこんなになってんの?

なんか納得いかないおみくじだよなぁとか思いつつも、気を取り直して拝殿から本殿の方を見てみたんだけど、本殿が凄く立派なのですよ。屋根には龍造寺の十二日足紋だけでなく鍋島の杏葉紋もあるんだけど、そもそもこの家紋は龍造寺隆信が今山の合戦で大友勢に勝利したことを記念して、大友の紋を隆信が使い始めた事が始まり。それを鍋島が引き継いだので、龍造寺の紋としても間違いじゃないんだよね。

「楠神社」境内にあるもう一つの神社

龍造寺八幡宮の隣には、鎌倉末期から南北朝時代に朝廷勢力を支えた武将の楠木正成を祀った神社。

この神社が建立されたのは安政三年(1856年)ちょうどアメリカが日本に開国を迫っていた時代で、井伊直弼による安政の大獄が有名。ペリーがやってきたのが安政元年(嘉永七年)というそんな時代のこと。

佐賀でも朝廷を中心にした国を作るべしという勤皇論が活発になり始めた頃で、佐賀の乱を引き起こす過激派の志士江藤新平などが結成した義勇同盟の活動の中でこの地に建てられました。

楠神社の前に建てられた碑には、説明が書かれていました。

佐賀藩の面目を天下に知らしめたかどうかは知らないけど、とりあえず佐賀は知る人ぞ知るといった県で、全国的に有名とは言えないと思うけどね。

社殿には楠木正成、正行父子の像がある。おそらく桜井の別れと呼ばれる、親子最後の別れのシーンを元にしているんでしょう。

圧倒的な兵力で押し寄せる足利尊氏、それを迎え撃つ南朝廷方の楠木正成。息子を桜井の駅で自領へ帰らせ、自分が討ち死にしたあとも朝廷に尽くし朝敵を討てと説得したといわれる場面。

一粒で二度おいしいじゃないけども二つの神社に参拝してふと境内を見回してみると、ゆったりとした空間が広がっていて、このゴミゴミしていないのんびりした感じがいかにも佐賀らしい……いやね、やっぱゆとりが大切だと思うんです、何事も。

明治時代に八幡宮は移築されたのでこの場所がそうという言わけではなく、実際の場所は数十か数百メートル南にずれているわけですけど、それでもこの八幡宮は佐賀の乱における江藤新平率いる征韓党という過激派の本営に一時的だけど使われた場所でもあるんですよね。

なんでもそうだけど、自分の論が絶対正しいと頑なになるのはよくないよね。戦いとは正義と悪ではなく、正義と正義のぶつかり合いだからね。両者がぶつかった場合、話し合いで解決できなければ最後は殺し合いになる。だからこそ、相手を殺してまで通す価値のある正義なのか、まずは自分の正義を疑ってみる事も大切なんだよね。

てかさ、神社に詣でただけでケッコウ深い事まで考えさせられる。恐るべし龍造寺八幡宮。歴史の舞台に行くってのは、歴史の流れに自分を接続することだと思うのよ。

そこへ行ったからこそ感じることができる何かがあって、歴史の流れが昔から今もなお繋がり流れ続けている事をリアルに実感出来るんだよね。だから歴史スポットを巡るのは楽しいのです。

お宮情報

龍造寺八幡宮

建立1187年

佐賀県佐賀市白山1丁目3−2→Googleマップへ

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  • コメント ( 1 )

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  1. 大木

    >元は現在の佐賀城内に建てられていた神社なのだけど、佐賀城の築城にあたって鍋島さんによって龍造寺と共にここ白山に移された。
     城内にあった時は小さな祠程度。
     これ自体十間堀の南方中央に出城として使えるように備えたもので十間堀の両端角に築いた寺院と性質は同じ。
     そもそも全国の城下町に作られた寺町の本質は有事の際に軍事施設に転用するためのものです。
    >龍造寺を高寺にしたり
     高寺はあくまで通称、俗称であり山号寺名が変わっているわけじゃない。
    >龍造寺八幡宮を白山八幡宮にしたり
     そもそも龍造寺八幡宮という名前自体が後のもの。
     当時は単に八幡社と呼ばれておりそれに地名の白山が付いたというだけ。
     故にこの神社には挙げられているもの以外に複数の呼び名がある。

    他にも言い出したらきりがないがが流石に不勉強が過ぎる。
    基本情報が古く所々時系列の誤認がある。
    そうと悟られないように時折フォローを入れながら語ってはいるが対象を貶めることが本意であるのが透けて見えて不快。
    いくら個人のブログでも知ったかぶりででデタラメを吹聴するのはやめたほうがいい。
    どれだけ記事を書いてもコメントがひとつも付かないのは理由もなくそうであるわけじゃない。
    誰しも底意地の悪さが滲みでる不快な文章は評価しないものだ。

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